本会の沿革

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本会の沿革

宇和島東高校近畿同窓会は、平成23年5月に設立された。創立114年目、新制宇和島東高となって62年目の事だ。遅きに失した感は否めない。関係者の誰もがそう思うだろう。戦前は恐らく、宇和島中学や宇和島商業の近畿同窓会組織があったと思われる。大正末期、遅くとも昭和のはじめには、何らかの形で組織されたのではと推測する。明治29年の創立以来、数多の俊秀が育まれた中、近畿同窓会が組織されなかった筈はない。そう思うのが自然であろう。

戦後の学制改革により、母校は昭和24年に「愛媛県立宇和島東高等学校」として再スタートした。戦後の混乱の中、近畿同窓会の引継ぎがうまく為されなかったのではないだろうか。手元に資料が無く、事実を知る術は無い。まことに残念な事である。

爾来、同窓の多くの者が、同期会は各々にあっても、近畿在住の卒業生が一同に会する場の無い事を残念に思って来た。これは、錚々たるメンバーが目白押しの中、とても寂しい事であった。南予の他校近畿同窓会の中には、創立40年になろうとする会が存在する。自虐的に申すならば、後塵を拝したことは「名門」の名に相応しくない、まことに恥ずかしい事であった。

ところで、昭和63年、後輩たちが春のセンバツ高校野球で初出場、初優勝を飾った。前年夏の大会に初出場したが、残念ながら1回戦で敗れ美酒を味わう事が出来なかった。その矢先の快挙である。。甲子園のアルプススタンドで、この時初めて、勝利に捧げる「校歌」を高らかに唄う事が出来たのである。応援に駆け付けた我ら宇東関係者は、アルプススタンドで言葉では言い尽くせぬ感動・感激を味わった。喜びの涙が、止めど無く誰もの頬を伝った。「やればできる。努力は、いつか必ず結実する」と、それぞれが自らの人生を鼓舞した。その場に居合わせた者だけでなく、地元や全国各地でテレビ観戦した関係者の誰もが同様の思いであっただろう。120年になろうとする宇東の歴史の中で、これ程までに歓喜に沸騰した事は無い。

その歴史的快挙を成し遂げた上甲正典監督(17期)が、平成26年9月2日、67歳で逝去された。あまりにも早過ぎる鬼籍入りだ。早逝を惜しむのは、全国の高校野球ファン共通の思いであろう。心からご冥福をお祈り申し上げる。

母校野球部は、その後何度も甲子園への出場を果たした。その度に、同窓が甲子園に結集した。また、年末に開催される全国高校駅伝(京都)にも、平成9年を皮切りに後輩たちが何度も出場し、卒業生をはじめ多くの関係者が、都大路で声を限りに応援してきた。そのような中、平成22年度には、全国に数多ある「私学の雄」でも果たした事の無い、夏の甲子園・年末の都大路、そして正月の全国高校サッカー(東京・国立競技場)と、3つの檜舞台に立ったのだ。公立高校が、同年度に3つの出場という歴史上初の快挙を成し遂げたのである。東高関係者のすべてが留飲を下げた。改めて申すまでも無いだろう。このように幾度も感動を与えてくれる後輩たちを、心から称えたい。

しかしながら、その度に「近畿同窓会の無い寂しさ」は募るばかりであった。であるのに、先陣を切って発起する者が居なかった。今思うに、返す返すも残念な事であった。大いに反省しているところだ。とは言え、平成22年になってやっと、松下徳義(4期)・山﨑武德(14期)・織田博重(19期)らが中心となって、近畿同窓会創立に向け動き始めた。その結果、平成23年5月、他校に誇れる立派な「近畿同窓会」を設立する事ができた。総会の度に、全員で「校歌」を斉唱する。何物にも代え難い大きな喜びである。松下、山﨑、織田をはじめ、井戸を掘った方々の功績は、筆舌に尽くし難い。子々孫々まで、そして千年も語り継がれる事だろう。

平成25年には「会則」を全面改訂すると共に、会歌「山よ 海よ 川よ」も制定した。作詞は谷口利広(20期)、曲は松影通男(1期)によるものだが、実に格調高い会歌となった。高校近畿同窓会は数多存在するが、会歌をもつ同窓会は、多くはないはずだ。同時に制作された「不易忘れず誠実に」と共に、今後、営々と歌い継がれる事だろう。平成25年度の全国高校駅伝出場に際しては、近畿同窓会として支援のための募金活動を行ったが、多くの賛同者があったことはご存知のとおりである。また、平成26年6月には、念願の「ホームページ」も立ち上げた。開設・公開は全国の他の同窓会の後塵を浴びたが、内容では凌駕したの自負がある。

この間、各方面から高い評価を賜っている機関誌「ずーむいん鬼ヶ城」や会員交流誌「おっとろしあ」も、引き続き精力的に発刊して来た。我らが「宇東高近畿同窓会」は、歩みを緩める事なく着々と発展を遂げているのである。冒頭述べたように設立は遅きに失したが、すべてに亘り宇和島東高卒業生の底力を遺憾なく発揮し、天下に示していると言えよう。平成26年8月には、「南予は一つ、連携を深め、母校・故郷に恩返しを」の理念のもと、愛媛県南予地区高等学校近畿同窓会連絡協議会が発足した。ここでも、本会に対する期待は大きい。発展に力を尽くさねばならない。現在、会員数は272名(今年度会費納入者・平成27年7月4日現在)である。今後は、近畿在住の同窓の力をさらに結集して、一層の発展を図る事が今を生きる会員に課せられた大きな責務である。

平成22年9月7日    有志4名で設立に向けて会合開催  

近畿同窓会設立に向け、鎌田嘉作(宇中46期)・中平雄造(3期)・松下徳義(4)・山﨑武德(14)の4名が、大阪市内の宇和海料理店「藝夢」で打ち合わせ会をもった。それまでも動きはあったが、大きなうねりには至らなかった>これが、設立に向けての事実上初めての会合となったのである。スタートと言ってよい。

平成22年10月12日   有志13名による第1回の準備会議を開催 設立を決定

近畿同窓会設立に向け、松下・山﨑・織田博重(19期)らが中心なって呼びかけ、近畿在住の有志13名が「徐園」に集まった。ここに「近畿同窓会」を設立する事が決定した。 大きく動き出したのである。

平成22年12月15日   有志25名による第2回の準備会議を開催

作成した名簿を確認、各期幹事候補を選出した。運営方法等を話し合い、白熱の協議の結果、会長候補には木村茂樹(3)が推され、了承された。各期の幹事候補が、設立総会に向けて準備を進める事となった。

その後も、3回の準備会議をもった。

平成23年5月15日   設立総会の開催

ラマダホテル大阪(中津)に於いて、設立総会を開催。会則の制定。役員の選任。

出席者 141(128)

講演 奥島孝康(9) 「高校野球、同窓会、甲子園」

平成24年2機関誌「ずーむいん鬼ヶ城」創刊号 発刊

平成24年5月13平成24年度総会(2) 開催 

ラマダホテル大阪に於いて開催。出席者 187(会員169)

講演 伊井春樹(10) 「与謝野晶子と小林一三」

平成24年9月 会歌制作開始   

平成24年12月 「望郷演歌」完成

平成25年1機関誌「ずーむいん鬼ヶ城」第2号 発刊

平成25年2月 望郷演歌「不易忘れず誠実に」完成

平成 25年3月 会歌「山よ 海よ 川よ 」 完成

平成25年4会員交流誌「おっとろしあ」創刊号 発刊

平成25年5 月23日 平成25年度総会(3) 開催

ラマダホテル大阪に於いて開催。

出席者 204(会員178) 新会則を制定。2期目役員の選任。

「会歌」の制作発表。作曲担当の松影通男先生ご夫妻出席。

講演 浜田泰介(1) 「私の原点は宇和島」

平成25年5月  ホームページの開設決定

平成257会員交流誌「おっとろしあ」第2号 発刊

平成25 11~12  後輩たちの第64回全国高校駅伝出場に係って支援のための募金活動を、近畿同窓会として実施した。

平成2512会員交流誌「おっとろしあ」第3号 発刊

平成261機関誌「ずーむいん鬼ヶ城」第3号 発刊

木下博民(昭和15年宇商卒)寄稿「通天閣を建てた土居通夫」

平成26年5月18平成26年度総会(4 

ホテル大阪ベイタワーに於いて開催。

出席者 201(会員174)   会則の一部改訂。

講演 伊達宗信氏(宇和島伊達家13代当主)

「宇和島伊達家400年祭の意義」

平成26年5月18日 会員交流誌「おっとろしあ」第4号 発刊

平成26年6月11日 本会ホームページ開設・公開した。

平成26年8月17日 本会ホームページへの延訪問者数が5千人を超えた。

平成26年11月9日 本会ホームページへの延訪問者数が1万人を超えた。

平成26年12月10日 機関誌「ずーむいん鬼ヶ城」第4号 発刊 

平成26年12月10日 会員交流誌「おっとろしあ」第5号 発刊 

平成27年3月4日 本会ホームページへの延訪問者数が1万5千人を超えた。

平成27年6月28日 平成27年度総会(第5 

ホテル大阪ベイタワーに於いて開催。

出席者 188(会員163  会則の一部改訂。役員の選任。

会旗
機関誌「ずーむいん鬼ヶ城」創刊号
会員交流誌「おっとろしあ」創刊号
宇和島城

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